1998年3月31日火曜日

19980331_東京襲撃&物欲

1998年3月31日。

たまに乗車する夜行列車はいいものだ。個室というのがそのよさを増長している。

部屋の照明をおとして読書灯だけにし、流れる車窓を眺めながら軽く飲む。夜行列車の醍醐味。BGMもあり、いいかんじ。モバイルも出来るし。

ひとりいろいろと想いを巡らせながら、たまにはBGMも止めて列車の音に耳を傾けてみる。レールの上を車輪がすべり、ジョイントを刻む音。時折通過する小さい駅の明かり。併走する車のヘッドライト。郊外の田舎を走っているときにたまにあらわれる踏切。

このえすもと、がらにもなく感傷的になってしまう。



こう書いている間も列車は快調に東へ向かってばく進している。EF66の強力なパワーではやぶさは軽やかに進んでいく。これで、室内にAC電源があったら、一晩中日記の執筆が出来そうなくらいにいい感じ。あ、洗面所に行けばAC電源があったなぁ。まさか、しないけど。





1998年3月30日月曜日

19980330_沖縄のあとなぜかはやぶさ

1998年3月30日。

6時40分起床。よく寝た。7時間くらいの睡眠だ。今日は月曜日、平日。いよいよ沖縄ともお別れ。


チェックアウトして、那覇の港へ向かう。大型船の発着する港なのにきれいだ。テトラポッドは水面下にさらに2段あるのに、そのしたの水底がはっきりみえる。





1998年3月29日日曜日

19980329_沖縄北部徘徊

1998年3月29日。

4時起床、というか、目が勝手に覚める。睡眠時間3.5H。とりあえずWEBの更新とメールチェックだ。

すると、東京在住で実家がうちの実家の近くという方から不定期日記の感想メールをいただいた。ありがとうございます。メール管理を自室のPCでしている関係上、resが遅れてしまいますので、取り急ぎこの場でお礼申し上げます。



さて、昨日は沖縄本島南部を攻めたので、今日は北部へ転戦。しかし、戦争というものはかくも狂気に満ちて残虐であることか。ひめゆりの塔を見学して、胸がしめつけられる思いである。自分は戦闘機も趣味の対象としているが、出来ることならばショーや訓練で飛ぶだけにして欲しいものだ。趣味の対象が殺人に使われるのは、あまりにも悲しいことだ。


まあ、本来殺人用に作られたようなものではあるが、これを威力として結果的に平和になればこれに勝るものはない。戦闘機が好きでも、平和を希望する心にかわりはない。


まずは、嘉手納基地へいき、のんびりとすごす。




1998年3月28日土曜日

19980328_連休スタート沖縄南部徘徊

1998年3月28日。今日から連休。

4時30分起床。気持ち良く目が覚める。いよいよ9連休のスタート。




とりあえず、JASで那覇空港に定刻到着。MD81の最後尾から降りてみる。


1998年3月8日日曜日

19980308_休日

1998年3月8日。

4時30分起床。眠れない。2週続けての週休二日はもったいなくて、寝ていられない。そもそも、昨日の夜に伊佐美をのんで22時前に爆睡モードに入ったためという話もあるが。


しかし今日は天気が良い。久しぶりに洗車でもしてみよう。前回洗車したのは昨年の12月30日。ワックスにいたってはすでに記憶のかなたへ飛んでいる。たしか、梅雨入り前にかけたような。

というわけで洗車。ワックスもかけた。タイヤのローテーションもした。エアチェックもした。たまには車も面倒を見て上げないとかわいそう。最近ずっと手を入れてなかったし。さらに部屋も大掃除。気分がいい。冬物の洋服を整理して、着なくなった服を処分して、少し新しい気分。


で、夜はいつもどおり飲みに出かける。やはり、美味いものはうまい。「村尾」前回のキープが底をついたので新しくキープを入れる。


最後の会計のときに気がついたのだが、いつも支払い時にに横で話し掛けてくるおやじさんの前掛けに、「本格焼酎 森伊蔵」と染め抜いてあることにきがついた。すごく、気になる。

このお店と有限会社森伊蔵酒造とはどういう関係にあるのだろうか?
なぞは深まるばかりである。

1998年3月1日日曜日

19980301_久大本線&日田彦山線&筑豊本線

1998年3月1日。

5時起床。こんな時間に起きたのは特に意味はない。ただ、目が覚めただけのこと。

とりあえず、駅で大学の鉄道研究会の後輩であるN氏をひろう。客車を撮影するべく肥前旭へ。

九大線からの12系を撮影し、天拝山-原田へ戻る。ここではさくらを撮影し、いよいよ本命の久大本線へ移動だ。例によって田主丸へ移動し、いよいよ最後のゆふいんの森(I)と12系を撮影。ここではなんとか天候は持ってくれた。