1997年10月18日土曜日

19971018_美祢線と本山線

1997年10月18日。5時の目覚しが鳴るのを無視して6時に起床。天気はうっすらとくもっているようす。

実は、昨晩21時過ぎに出発して、小月のドライブインみちしおの駐車場で朝を迎えたのであった。

クモハ42を目指して小野田線へ行こうかとも思ったがちとおそい。そこで、厚狭-小野田間の3複線区間へ足を伸ばした。先に、厚狭-埴生間で下り富士を撮影。日が昇る前なので1/15で俯瞰気味に流し撮りを行う。



続いて、小野田-厚狭間の3複線区間へ足を伸ばした。以降の列車は遅れていたものの、とりあえずさくら、はやぶさ、セキ8000の貨物と無事に撮影成功。今日九州入りする旅路はPFの牽引であった。土曜の朝にもかかわらず数人が集まった。




あとは、美祢線へ行って貨物の撮影だ。


コンビニで食料を調達した後は湯ノ峠-厚保間の川沿いへ向かう。ここは橋の上から50mmで撮影。つづいて湯ノ峠駅へ一度戻った後は、その先の松ヶ瀬へ。ここでは上りと下りの両方を撮影してまた移動。しかし、雨が降ってきたので四郎ヶ原方面へ行くことにする。


山を越えて四郎ヶ原駅に着く直前、先程松ヶ瀬で撮影した列車に追いついた。これは見送って、四郎ヶ原駅の南大嶺よりの地点で撮影。雨は小降りになったがいっこうに止む気配はない。



午前中の最後は厚保-四郎ヶ原間の踏切近くで上下列車を撮影し、一休みとする。




一休みした後は、南大嶺へ移動。なんと、駅が大きく変わってしまっている。大嶺線の線路をはがしてホームを延長し、駅舎が新しくて、ちゃちな物になり、側線がはがされている。3月30日の夜にここで保線作業に向かう車両を撮影したのが嘘のようだ。





ついでに大嶺までの廃線跡をたどってみたが、大嶺駅も含めて信号などの設備や線路も比較的残されていた。うれしいような、悲しいような、複雑な心境になってしまう。



3月に通った地点に立ってみたが、線路は残っているものの雑草が1m程まで生い茂っており、その横ではコスモスがきれいな花を咲かせている。



そして南大嶺駅の北の外れの分岐までは線路が外されて道路が拡張されていた。ここで、また貨物を撮影して、美祢へ移動する。





美祢では、専用線の走行シーンを1往復撮影しながらデジカメの画像をPCにすいあげる。36枚撮りで32枚まで撮影してしまったからだ。南大嶺駅と大嶺線跡でついつい使いすぎてしまった。





このあとは厚保駅で先程入れ替えをみた列車を撮影し、俯瞰場所へ。100mmで1カット撮影を済ませてまた移動。本当は夕方までここにいるつもりだったのが、雨上がりにもかかわらずガスが激しく、とてもではないが俯瞰を続ける気にはなれなかったのだ。



このあとはロケハンを続けてまた松ヶ瀬へ。1往復撮影。松ヶ瀬踏切の脇にコスモスが咲いており、これをからめる。






最後は小野田線へ移動。



浜河内付近で撮影し、今日の任務は終了。高速で一気に帰った。




今日の体重は67.5kg。



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